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2017年05月18日

養蚕の豆知識

美しい光沢の絹織物は今も昔も人々を魅了します。絹は、蚕(カイコガの幼虫)が作る繭からとった生糸から作られ、蚕を育てて繭をとることを「養蚕」といいます。
近代の日本で一大産業として全国で行われていた養蚕。国営の製糸工場だった群馬県の富岡製糸場が世界文化遺産に登録されたのも記憶に新しいところです。
中国から日本へ養蚕が伝わったのは紀元前200年頃。シルクロードが東西の貿易と文化の交流に大きな役割を果たしていた頃です。日本でも古くから養蚕に取り組み、絹糸を生み出す蚕は、「お蚕様」と呼ばれて大切に扱われ、様々な民間信仰や風習が生まれました。

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■蚕ってどんな虫?

一昔前までは、女性たちがその働き手となり、幼い子どもたちまで手伝って、日本全国で盛んに行われてきた養蚕ですが、今は蚕を見たことないという人も多いでしょう。
蚕はカイコガの幼虫です。蚕の仲間は世界各地にいますが、養蚕で飼われている蚕は生糸がたくさん採れるよう人間によって改良されており、「家蚕(かさん)」と呼ばれ、自然の中では生きていくことができません。

蚕は、蝶などと同じように卵→幼虫→繭からサナギ→成虫と姿を変えて成長する完全変態の虫。蝶との違いは、繭を作ってその中でサナギになることです。
幼虫は桑の葉を食べ、4回脱皮して大きく成長していきます。最後の脱皮を終え、繭を作り始めるころの蚕は「熟蚕(じゅくご)」と呼ばれます。生まれたときは、わずか1〜3mm程度の大きさしかありませんが、この頃にはその1万倍の大きさに成長しています。たった25日間で1万倍の大きさに成長する生き物は蚕だけだといわれています。

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熟蚕は2日間休みなく糸をはいて繭を作り、その中でサナギになります。2週間ぐらいで成虫になり繭から出てきますが、家蚕は羽があっても飛べず、口も退化しているので何も食べません。交尾後、卵を500個くらい産むと1週間ほどで死んでしまいます。

蚕の命は約1か月半。エサとなる桑の葉がとれる5月から10月ぐらいまでが育成のシーズンです。育つ時期により春蚕(はるご)・夏蚕(なつご)・秋蚕(あきご)などと呼ばれました。

もちろんほとんどの繭は成虫にはならず、集められてゆでられ、糸口から一本の糸として紡がれ、絹糸となります。中のサナギは死んでしまいますが、魚の餌などに利用されたといいます。
蚕が吐き出す糸は、同じ太さの鉄よりもはるかに硬く強度があり、繭1個を1本の糸にほぐすと長さは約1,200mにもなります。

近代では、この繭を製糸場に運び、絹糸が作られていましたが、古くから、蚕を育てて繭から絹糸をとり、機を織るところまでそれぞれの家で行われ、女性の仕事として発展してきた歴史があります。農家にとっては重要な収入源であり、「お蚕様」などと呼んで大事に育て、蚕が無事に育ち、繭がたくさん採れることを願って、さまざまな神仏に祈りました。

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■養蚕にまつわる風習やことば

・繭玉飾り
小正月の正月飾りに「餅花」があります。餅花とは紅白の餅で、これを柳などの枝に飾りつけ、農耕神の予祝の花とされている桜の花や、実った稲穂に見立てますが、養蚕の盛んな地方では餅や団子を繭に見立てて、「繭玉」と呼びます。これを神棚や大黒柱などに飾り、作物の豊かな実りを祈願しました。

・蚕豆(そらまめ)
初夏においしいソラマメですが、漢字で書くと「空豆」「蚕豆」となります。サヤが天に向かって伸びるように生えるので「空豆」。サヤが蚕の形に似ているから「蚕豆」といわれるようになったとか。また、蚕が繭を作る時期においしくなるからという説もあります。

・草石蚕(ちょろぎ)
地下にできる連珠状の白い塊茎(かいけい)が蚕に似ていることから「草石蚕」。正月には、長寿を表すおめでたい食べものとして「千代呂木」や「長老喜」という字を当てて、梅酢で赤く染められた草石蚕がおせち料理の黒豆に添えられます。「ちょろぎ」「ちょうろぎ」と呼ばれるこの風変わりな名前は、中国語の「朝露葱」を日本語読みにしたのではないかといわれています。

・糸偏(いとへん)
「糸」という字は、お湯の中から繭を取り出す様子を表した文字です。糸からできていないのに「紙」という字は糸偏ですね。植物から作る紙が発明されるまでは、絹を使った「シルクペーパー」が使われていたからです。

・雷除けに「くわばらくわばら」
雷が鳴るとよく「くわばらくわばら」といいますが、なぜでしょうか。「くわばら」は「桑原」のことで、昔から雷除けのおまじないとされています。由来には諸説ありますが、有名なのは、菅原道真が九州の大宰府に左遷されてから落雷被害が増えたので、これは道真のたたりであると考え、落雷を避けるために、道真の領地で落雷のなかった桑原の名を唱えるようになったという説です。菅原道真はのちに天神様・学問の神様と崇められるようになりました。また、兵庫県三田市桑原の欣勝寺にこんな昔話が残っています。

昔、張り切って雨を降らせたり稲光を光らせたりしていた雷の子どもが、調子に乗りすぎ雲の切れ目から落ちてしまいました。落ちたところが桑原にある欣勝寺の井戸の中。どうにも外へ出られません。それを見た和尚さんは、落雷で火事を起こしたり、人間のへそをとろうとしたりしていた雷の子どもをこらしめようと、井戸にふたをしてしまいました。
雷の子は「もう、二度と桑原へは雷を落としませんから、助けてください」と約束して、ようやく助け出してもらいました。それからというもの桑原には雷が落ちなくなったといわれ、それを聞いたよその村人も、雷が鳴り始めると「くわばらくわばら」と唱えるようになったということです。

※参考文献『蚕 絹糸を吐く虫と日本人』(畑中章宏:晶文社刊)

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