2023年08月08日

うちわ

ぱたぱたと扇いで涼をとったり、火を起こすのに風を送ったり、「うちわ」は古くから私たちの身近にある生活の道具。イベントや街頭で広告宣伝用ツールとして配られることも多く、最近はアイドルなどの「推し」を応援するグッズとしても活用されていますね。実は「うちわ」の歴史は古く、紀元前の古墳時代まで遡ることができます。意外と知らない「うちわ」の活躍ぶりをご紹介します。

202308_uchiwa.jpg

■うちわのルーツと発展
うちわのルーツは「翳(さしば)」というもので、日本の古墳の壁画や出土品などから、紀元前に「翳」が中国から伝わったと考えられています。「翳」は、長い柄の先に鳥の羽根などで扇面が作られたもので、風を起こすためではなく、身分の高い人の顔を隠す道具として使われていました。
日本では、貴族などのために華やかなうちわが作られ、顔を隠したり、飾ったり、風を送るものとしても使われました。

戦国時代には「軍配団扇(ぐんばいうちわ)」が生まれ、武将たちが戦を指揮するために使われました。鉄・皮・木・漆などで作られた軍配団扇は、大相撲で行司が使用している軍配のような形で、実際に大相撲の軍配は軍配団扇の名残だといわれています。
江戸時代になると、竹細工や紙の製造技術が発達して、うちわは生活の道具として庶民にも広く普及しました。さらに、木版技術の発達によってうちわ絵の大量生産が可能となり、浮世絵や役者絵が描かれるようになると、実用性だけでなく楽しみのためのアイテムとしても広まっていきました。
明治時代には、これまでの用途に加え、商品名や名前を入れて配布する広告媒体としての用途が加わりました。

■「うちわ」と「団扇(うちわ)」の名前の由来
ところで、なぜ「うちわ」と呼ばれるようになったのか。そして、そのままでは「うちわ」と読めない「団扇」の字が使われているのでしょうか。
「うちわ」の語源は「打ち+羽」で、叩くような動作を表す「打ち」という言葉と、その道具である「羽」を組み合わせて「打ち羽(うちわ)」となりました。また、羽を使ってハエや蚊などを打ち払うからという説もあります。
当初、日本では「打羽」という漢字が使われていましたが、その後、中国語の「団扇」という漢字が当てられました。「団扇」の「団」は円形という意味があり、「扇」は観音開きの戸が羽のように開閉して起こる風を意味しています。形と使い方が合っているので、この漢字をあてたと思われます。

■日本三大団扇
日本の伝統的なうちわとして有名なのは、千葉県の房総半島南部の「房州うちわ」、香川県丸亀市周辺の「丸亀うちわ」、京都府の「京うちわ」などです。それぞれの特徴をご紹介します。

・房州うちわ
房州(千葉県館山市、南房総市)は竹の産地として有名で、江戸時代から江戸うちわの骨の部分の生産を請け負っていましたが、明治以降は房州でもうちわが作られはじめました。房州うちわは、柄と骨が1本の竹で作られており、丸い竹の形を生かした柄「丸柄(まるえ)」と、竹を細かく割いて作る「割竹(さきだけ)」の窓(=うちわの紙が貼られていない部分)が特徴です。

202308_bousyuuchiwa.jpg

・丸亀うちわ
丸亀うちわは、江戸時代初期、金刀比羅宮に参詣する「金毘羅参り」の土産物として考案されたうちわがきっかけで発展しました。丸亀うちわも房州うちわと同様に柄と骨が1本の竹で作られていて、平らに削られた平柄と丸いままの丸柄の2種類あるのが特徴です。国内のうちわ生産量の9割のシェアを誇り、多種多様なうちわが生産されています。

・京うちわ
宮廷文化が根付いた京都ならではの「京うちわ」は、別名「都うちわ」「御所うちわ」とも呼ばれます。土佐派や狩野派など宮廷に仕える絵師が絵付けを手掛け、貴族たちに愛用されました。うちわの扇面の中骨とは別に、後から柄の部分が取り付けられる「挿柄(さしえ)」という構造が京うちわの特徴。中骨は50~100本にもなり、本数が多いほど高級品になります。洗練された絵柄やデザインなどで観賞用として海外でも人気です。

■「左うちわ」の由来

富裕で安楽な暮らしを「左うちわ」といいますが、なぜでしょう。
その語源は、右利きの人が左手でうちわを使うとゆったりとした動きになり、あくせく働く必要がなくゆとりのある生活に見えるから。そこから、働かずに遊んで暮らせる境遇や、楽隠居、安楽なふるまいなどを指すようになりました。古の人々の暮らしを想像してみないと、エアコンや扇風機の時代には通じにくい言葉かもしれませんね。

ページトップへ