10月は諸国の神様たちが出雲地方に出かける時期。この間、留守番をして家を守ってくれる神様がいます。一般家庭の留守神様は、台所にいる大黒様。商家の留守神様は、海から来た恵比須様。農家の場合は両方ということが多いようです。
恵比須講は、家を守り、商売の神様でもある恵比須様をお祀りするもの。旧暦10月20日、11月20日、1月10日など、地方によって様々な日取りで行われます。
※留守神様のお話についてはこちらをご覧ください。 → 神無月の由来
主に商家が商売繁盛を願って、恵比須様をまつりました。「講」とは集まって寄り合いをすること。江戸時代の商家では、家のお金をすべて一升瓶に入れ、尾頭付きの鯛を供えて商売繁盛を祈りました。呉服屋が一番派手で、招待客に酒を振る舞い、店先にみかんやお金をまいたともいわれます。
恵比須講は毎年1月20日と10月20日に行われ、「恵比須講」、「夷講」、「二十日恵比須」などとも言われます。また、1月10日や12月8日に行うところ、10月20日を「商人えびす」、12月8日を「百姓えびす」と呼ぶところなど、地域によって様々です。
縁起のよい福の神を7人集めてユニットにしたのが、ご存じ「七福神」です。その中で竿と鯛を持って笑っている恰幅のよい神様が、恵比須様です。福々しい笑顔をえびす顔というくらい、打ち出の小槌を持った大黒様と並んで人気があります。
恵比須様のルーツについては諸説ありますが、神道では伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊邪那岐命(イザナミノミコト)の第三子・蛭子尊(ヒルコノミコト)といわれています。古事記、日本書紀に出てくる蛭子という漢字にエビスが当てられているのが、その根拠とされています。恵比須様は成長しても足が立たず、船で流されてしまいました。そして流れ着いたのが神戸の西宮浜といわれています。
恵比須様は遠方から福を運んできてくれる海の神様、豊漁の神様として信仰され、やがて農民や商人にも信仰され、商人には商売の神様、農民には田の神、山の神として豊作の神様になりました。
釣竿を持ち、鯛を抱えた恵比須様の姿は、暴利をむさぼらぬ清廉の心を象徴しているといわれ、網で一気に漁をするのではなく、先を見越して竿で少しずつ釣をする地道さが商売人に喜ばれたようです。
恵比須様は、上方ではもっと気軽に「えべっさん」と呼ばれており、庶民に人気の神様です。兵庫県西宮市にある西宮神社は、全国の恵比須神の総本山で、毎年正月10日の「十日夷」には、大勢の人出で賑わい、繁盛をもたらす縁起物の笹の飾り物が飛ぶように売れます。
江戸中期、日本橋の宝田恵比寿神社の門前で10月20日の恵比須講にお供えするため、前日の19日に市が立ち、魚や野菜、神棚などが売られたのが始まりです。べったら漬けがよく売れたことから「べったら市」と呼ばれるようになりました。
べったら漬けとは麹 (こうじ)をべったりつけた浅漬け大根のこと。第十五代将軍・徳川慶喜公も好んで食べたといわれる伝統ある漬物で、「べったら、べったら。買わないで素通りすると着物につくよ」と、人ごみのなかで振り回したり、麹のついた手で袖を引いたりしたため、この呼び声から「べったら漬け」と呼ぶようになったといわれています。
現在は、10月19日(もとは旧暦)に、東京・日本橋の大伝馬町と小伝馬町を結ぶ街路でべったら市が開かれ、秋の風物詩にもなっています。