かまくら

東北地方などの豪雪地帯で行われる「かまくら」は、大きな雪室に水神様をまつり、農耕につながる火や水に対し感謝を捧げる小正月の行事です。東北地方で発達しましたが、なかでも秋田県横手市のかまくらは歴史ある伝統行事で、現在は月遅れの小正月となる2月15日と16日に行われています。

「かまくら」は幻想的な子どもの小正月

「かまくら」は、雪を丸く固めて中を繰り抜いた「雪室」(ゆきむろ)と呼ばれる小部屋のことで、「かまくら」の中には、水神様を祀ります。
横手市ではまつり期間中、「かまくら」が市内に100個ほどできるそうです。夜になると、「かまくら」に灯明をともし、暗闇にほのかな明かりがいくつも並び、幻想的な美しさをかもし出します。観光としてその美しい情景を楽しまれていますが、もともと「かまくら」は見るものでなく、中に入って、正面に祀られた水神様にお賽銭をあげて、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願するためのものです。

かまくらイメージ

「かまくら」の中にはむしろが敷かれ、火鉢やコンロなども置かれ、子どもたちが入って遊びながら、ここで餅を焼いて食べたり、甘酒を飲んだりします。水神様をお参りしたい大人たちが来ると、子どもたちは「はいってたんせ(かまくらに入ってください)」「おがんでたんせ(水神様をおがんでください)」と言いながら、甘酒や餅をふるまいます。大人たちは賽銭を水神様にあげてお参りをし、子どもたちに餅や果物などを渡します。大人たちが置いていった賽銭や餅などは、子どもたち皆で分けて持ち帰ります。

「かまくら」の歴史

横手の「かまくら」は、約400年の歴史があるといわれています。
「かまくら」の元になった風習として、武家の住む内町では、旧暦1月14日の夜、四角い雪の箱を作り、その中に門松やしめ縄などを入れ、お神酒や餅を供えてから焼く左義長が行なわれていました。
一方、商人の住む外町では、旧暦1月15日の夜、井戸のそばに雪穴を作り、水神様(おしずの神さん)を祀りました。この地方は、雪の降る時期に水不足になりやすいことから、良い水に恵まれるようにと祈りました。外町では水神様を祀りましたが、内町では鎌倉大明神を祀ったようです。
また、子どもたちが積もった雪に穴をあけて、その中に入って遊ぶ雪遊びもあり、これらが融合して、今のような「かまくら」となったようです。

なぜ「かまくら」というの?

さまざまな風習が融合して今も続いている行事ですから、「かまくら」の語源にもいろいろな説があります。

①「かまど」の形と似ているから
「かまくら」の形はかまど型。しかし、形ばかりでなく、この中で実際にしめ飾りなどを焼いたので、「かまど」が語源になったとする説です。
②鎌倉大明神を祀ったから
古い書物に、「かまくら」の側に鎌倉大明神の旗が立てられている絵や、鎌倉大明神を祀ったとも書かれています。
③神座(カミクラ)からかまくらになった
雪室は神様の御座所、即ち神様のおいでになるところ神座であることから、この神座(カミクラ)が「かまくら」に変化したという説です。
④鎌倉権五郎景政を祀ったという信仰からでた説
後三年の役で、弱冠16才で勇敢に戦った景政を祀ったことから、「かまくら」となったという説です。
⑤鳥追い歌の歌詞からという説
鳥追い歌に「鎌倉殿」という歌詞があることから「かまくら」になったという説です。

【参考】横手市観光協会
http://www.yokotekamakura.com/01_event/04_winter/kamakura_setumei.html

おまけ

秋田県には「なまはげ」という正月行事もあり、これも子どもたちが主役の行事です。なぜ、子どもが正月行事の主役になっているのでしょうか。それには、神様に最も近く、神が容易に扱いやすい者が子どもだからという説があるそうです。
お餅を食べたり甘酒を飲んだりして遊べる「かまくら」は子どもたちの天国、逆に恐ろしいなまはげに脅される「なまはげ」は子どもたちにとっては地獄のような行事とも言えそうです。

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