11月12日から、七十二候では「地始凍(ちはじめてこおる)」になります。大地が凍りはじめる頃という意味で、霜が降りたり、霜柱が立ったり、水たまりに氷が張ったりしはじめます。11月に入り、朝晩は冷えるようになりました。地域によっては、霜が降りるところもあるでしょう。アスファルトばかりの都会では霜柱を踏む機会もありませんが、子どもの頃、霜柱を踏んだときのあのサクッとした感触がなんとも気持ち良かったものです。
そして、11月15日は「七五三」。子どもの健やかな成長を願い、男の子は3歳と5歳(5歳のみ行うところも多いです)、女の子は3歳と7歳のときに晴れ着を着せて神社に参拝し、人生の節目を祝う通過儀礼です。
七五三は、もともとは公家や武家で行われていた「髪置き」「袴着」「帯解き」という別々の儀式でしたが、江戸時代後期に3つの儀式が1つになり、その後、今のような形になって広まりました。昔は「7歳までは神のうち」といわれるほど子どもの死亡率が高く、子どもを無事に育てるのは大変だったため、節目節目に神様に感謝をして、健やかな成長を祝うようになりました。
ところで、なぜ、11月15日に祝うのでしょうか。
江戸時代、五代将軍・徳川綱吉が長男・徳松(5歳で夭折)の無事成長を祈るために、袴着の儀式を執り行ったのが、婚礼以外すべてに大吉の「鬼宿日(きしゅくにち)」にあたる11月15日で、これが一般に定着したといわれています。他に11月が秋の収穫の月で縁起が良く、3と5と7を足して15日にしたという説など、諸説あります。最近では特に15日にはこだわらずに10月から11月にかけての家族が揃う吉日を選んで行う人も多いようです。
また、七五三といえば「千歳飴」。江戸時代に、浅草の飴売りがお宮参りのお土産として売り出したのが千歳飴の始まりで、赤ちゃんが長生きできるよう長く伸ばした飴を作り、千年飴、寿命飴として売り出したそう。これがのちに「千歳飴」と呼ばれるようになり、七五三に用いられるようになりました。飴は縁起の良い紅白に彩られ、袋には松竹梅、鶴亀など長寿にまつわる絵が描かれおり、袋の中には年の数だけ飴を入れると良いとされています。
【暮らしの作法】七五三
【暮らしの作法】子どもの通過儀礼
2024年11月12日